う蝕の病因論の変遷—「生態学的プラーク説」とその発展
近年、う蝕の病因論としてMarshが提唱した「生態学的プラーク説」が支持されています。この考え方では、う蝕は特定の細菌による感染症ではなく、口腔内常在菌の「生態の変化」によって発症するとされています。そのメカニズムは、以下の4つのステップで説明できます。
う蝕発症のステップ
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頻繁な糖の摂取
バイオフィルム内の細菌が糖を代謝することで、頻繁に酸が産生されます。これにより細菌がストレスを受け、酸産生能力と耐酸性が増加します。 -
環境の変化
酸の影響でバイオフィルム内のpHが低下し、口腔内環境が酸性に傾くことで、細菌の生態系が変化し始めます。 -
生態の変化
酸性環境が続くと、酸に弱い細菌は淘汰され、ミュータンスレンサ球菌、乳酸桿菌、ビフィズス菌などの耐酸性細菌が優勢になります。 -
う蝕の進行
酸性環境で生き残った細菌がさらに酸を産生し、歯面の脱灰が進行していきます。
糖の過剰摂取や唾液の減少はう蝕のリスクを高め、口腔清掃やフッ化物の使用はリスクを低減する要因になります。
「拡大版:生態学的う蝕病因説」—さらに詳しい病因論
Marshの「生態学的プラーク説」をより細かく説明したものが、高橋とNyvadが提唱した「拡大版:生態学的う蝕病因説」です。このモデルでは、う蝕発症の過程を以下の3つのステージに分け、象牙質う蝕にはタンパク質分解ステージが追加されます。
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動的安定ステージ
バイオフィルム内で細菌が糖を代謝し酸を産生しますが、唾液やアルカリ性物質の作用により、脱灰と再石灰化のバランスが維持されます。 -
酸産生ステージ
細菌が酸性環境に適応し、酸の排出機能が強化されることで酸産生能力が向上し、脱灰が優勢となり初期う蝕病巣が形成されます。 -
耐酸性ステージ
酸性環境が持続すると、耐酸性のある細菌だけが生き残るようになり、より強い酸を産生することでう蝕がさらに進行します。 -
タンパク質分解ステージ(象牙質う蝕のみ)
酸による脱灰で象牙質のミネラルが失われ、コラーゲンが露出し、最終的に分解が進むことで歯の構造が破壊されていきます。
このように、う蝕の病因論は単純な「細菌感染症」から、「環境変化と生態の変化による多因子疾患」へとシフトしています。う蝕の予防には、単に細菌を除去するのではなく、口腔内の環境を健全に保つことが重要です。
【参考書籍】
伊藤直人 著「カリエスブック 5ステップで結果が出るう蝕と酸蝕を予防するカリオロジーに基づいた患者教育」医歯薬出版